3) 小川 勝也さんのロシア語習得方法
- 2018/6/15
- 対談
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浜田和幸 小川さんは、ロシア語は、日本に居たときに勉強された?
小川勝也 そうですね。私、大学3年のときからロシア語始めまして、第2外国語では間に合わなかったので、独学で、NHKのラジオ講座ですとかエクスプレス、外国語のロシア語版とかっていうので買ってきて、それで勉強をやりまして。その後、ウクライナのほうに、しばらく日本語教師として、2005年から6年まで行っていまして。
浜田和幸 そうですか。ウクライナに?
小川勝也 はい。ウクライナの向こう。
浜田和幸 まだ、あまりロシアとの緊張関係がなかったとき。
小川勝也 そうですね。オレンジ革命が、ちょっと起きた後ぐらいですかね。2005年なので。
浜田和幸 ウクライナで最初、日本語を教えたり、ロシア語を学んだり?
小川勝也 そうですね。それまでは僕、全然、会話とかの練習とかも、一切、してなかったので、文法的に字を読んで理解するっていう、そういう勉強しかしてなくて、行ったときは、全くロシア語が分からない状態ですね。聞いて分からないって状態ですね。
浜田和幸 なるほどね。ウクライナは、キエフにいられた?
小川勝也 ハリコフっていう、東のほうにある。
浜田和幸 東のほうで、今、一番ロシアと緊張が高まっている所だね、ハリコフは。その頃は、何ともなかったですか。
小川勝也 確かに、言葉の問題であるとかっていうのは、ごちゃごちゃ、とにかく、していたのですね。そこの地域は常にそういった問題で揉めていた所だったので。ただ、戦争とか、そういったところまでは、誰も考えつかないような、そういったことがあったのですけど。
浜田和幸 なるほどね。
小川勝也 平和は平和でしたけど、テレビつけると、討論番組で、常にロシアとウクライナの対立、ロシア語とウクライナ語、どうやって教育する。どうやってしゃべればいいとかっていう、そういった論争が、常にあってみたいな状態ですね。
浜田和幸 ウクライナ語っていうのは、ロシア語と随分、近いようには言われていますけど、厳密にいうと、ロシア語とウクライナ語っていうのは、全く違う言語になるのですか。
小川勝也 そうですね。実際、今、ウクライナ語自体が、急進的なウクライナ派の主導の下に、ポーランド語が取り入れられていって、新しいポーランド由来の言葉を、どんどん入れてって、ウクライナ語色を強めようっていう運動がありまして、要するに。
浜田和幸 ロシアから来ている言語を?
小川勝也 そうですね。意図的に。だから、政治的なプロパガンダっていうのに、ウクライナの言語っていうもの自体が、かなりの影響を受けていて、変質させられている。だから、もともとはロシア語は方言っていう位置だったと思うのですね、ウクライナ語自体が。それが政治的なプロパガンダの影響で、意図的に違うものに、っていう。多分、僕がいた10年前と、今のウクライナ語では、かなり変質していると思いますね。
浜田和幸 でも、そうやってロシア語を日本で勉強されて、ウクライナに行って、継続されて、ロシアというものに対して関心が高まっていったので、ちょうど日本語を教える先生募集っていうのにうまく?
小川勝也 そうですね。2014年までなので、結構、時間はあったのですけど、2007年、2008年ぐらいに、ウクライナ帰ってきまして、その間、しばらくスパンがあって、その間、自分で、こっちで会社を立ち上げたりとか、そんな感じでやったのですけど、どうもうまくいかないみたいなことになりまして、自分の会社はうまくいかなくて、たたんでしまったんですけど。
浜田和幸 そうでしたか。
小川勝也 そういったことで、ロシアに行くチャンスもあるということですので。